人文虫学

人文虫学⑤(私的分類学) ―人と虫との関わり学―

普遍的な感性を失わない文化
コダマ虫太郎

本稿は、虫にまつわる人物や文学に始まり、科学技術の限界や経済社会の幻想を経て、確かな社会とは何か?という少し尊大なテーマに及びましたが、今号が最終章です。

自然を全身で感じた人
野外で過ごすと食事が美味しいのを経験したことがありますか?空腹が調味料になっているだけとは思えません。自然界には不思議なエネルギーが宿っているようにも感じます。いつの時代でも自然を愛する人は多いのですが、この世にある全ての物を慈しんだ人もいます。山口県の仙崎(長門市)で生まれた「金子みすず」もそうした人の一人です。その詩集より。

不思議
「(前略) わたしは不思議でたまらない、青いクワの葉食べている 蚕が白くなることが、わたしは不思議でたまらない、誰もいじらぬ夕顔が 一人でパラリと開くのが、わたしは不思議でたまらない、たれに聞いても笑ってて あたりまえだということが」

わたしと小鳥と鈴と
「(前中略) 鈴と小鳥と それからわたし、みんな違って みんないい」

彼女の詩には、常識というブラインドはありません。人間中心の考え方ではなく自然界の全てを同等に捉えています。彼女は二十六歳の若さで夭折しましたが、誰よりも多くのものを自然界の中から吸収していたように思えるのです。

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みすずちゃん人形

人文虫学について
人文虫学とは、虫と人間の関係にかかわる学問の総称を言います。もっとも、筆者が創作した学問分類ですから、公には通用しません。
もともと、人間と虫との関係は、それほど密接なものではなく、ファーブルなどのように終生昆虫に没頭できる人は、やはり相当な変人と言うべきでしょう。それ程まで虫への興味を話は万人に望む気持はありません。しかし、それにしても、筆者が子供だった昭和三〇年頃と比べて、明らかに社会も自分の感性も、自然に対する繊細さから遠ざかっている事を実感します。(加齢による感受性の劣化を差引いたとしても)
この原因は現実追求に偏った文明(物)社会と無縁ではないようです。そして今後もグローバルな市場経済の法則に従うとすれば、日本人は得意な工業分野を専門に受け持ち、それでも国際収支が黒字の間は、食糧や場合によっては感性までも他国に依存できることでしょう。
しかし往々にして、生きるために大切なものを他人に依存出来るという文明社会の便利さは、一方で「感性の退化」をもたらします。そして、この方向性は正に、個(国家)として生きるための「自立性が失われてゆく過程」でもあります。
物は足りなかったけれど、自然や人や生き物と遊ぶ(生きる)ことには不自由せず、満足すら覚えていた、あの子供の頃のような、しなやかで普遍的な感性と文化(心)を失わない国であり続けることを信じて筆を置きます。

おわり

「人文虫学」は、二〇〇六年四月から二〇一〇年四月までの五年間、ある業界団体の顧客向け機関紙「虫太郎の伝言版」に掲載されたコラムです。著者の「コダマ虫太朗」は、防除施工士歴二七年の現役ですが、自分の年齢については認識不足のようです。本稿の続編は、「虫の文化史」で、全二〇話がすでに脱稿していますが、好機に恵まれれば、本紙面で再会いたしましょう。

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