ムシの文化史

虫の文化史 ③(虫偏のムシ) ―人と虫が奏でる文化―

虫退治の話
コダマ虫太郎

「土蜘蛛」退治

源 頼光(らいこう)
虫退治の話で有名なのは、源 頼光(よりみつ)の「土蜘蛛」という話です。このお話は「源平盛衰記(じょうすいき)」に詳しく書かれていています。
主人公の源 頼光は、「御伽草子」や「今昔物語」などにも登場していて、妖怪退治のプロフェッショナルのイメージが定着しています。一般には、源の頼光(らいこう)さん、と呼ばれています。
頼光さんは、平安時代中期(八五〇年頃) の武士で、源 頼朝の祖先にあたり、大江山で酒天童子を退治したと伝えられます。

「土蜘蛛」(つちぐも)
源 頼光が熱病にかかって寝込んでいた時のことです。ある晩、怪僧が現れて頼光に忍び寄ると、ナワで縛りあげようとしました。しかし、そこは頼光、すかさず傍らの名刀「膝丸」で僧を切りつけます。手傷を負いながら逃げた僧の血の跡を追って行くと、北野にある大きな塚にたどり着きます。この塚を壊すと、一メートル以上もある大蜘蛛が現れました。頼光の熱の原因は、この蜘蛛の仕業だったのです。すぐに、これを討ち取り、鉄の串に差して河原にさらしました。

「つちぐも」とは?
いくら千年以上前でも、そんな大きなクモは居ないでしょう。実は、「土蜘蛛」には、興味深い別の意味があります。
当時、大和朝廷に従わなかった人達を、「土グモ」と呼びました。こうした人達は洞穴(ほらあな)に住んでいたので、「土ごもり」が転じて「土グモ」になったようです。頼光さんは、朝廷に従わない人達を征伐した、と読み取れます。

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土蜘蛛塚 京都北野東方観音寺

「武士」の存在意義
このころ、武士という階級に、国家的な存在意義が必要になってきました。そこで、武士は「朝廷の守護役」としての地位を模索します。頼光さんの公式記録を見ても、化け物退治はありません。とすれば、「土蜘蛛」は、後世の源氏一族が作り出したヒーロー伝説のようです。
「源氏一族は、朝廷に仇なすものを、ことごとく討ち果たすものなり」と。

「ムカデ退治」
「御伽草子」に、俵 藤太(たわらのとうた)物語があります。
朱雀天皇の時代(九五〇頃)田原藤太秀郷(ひでさと)は、女に化身した龍神から、近江の三上山に棲むムカデを退治するよう頼まれます。
三上山に赴いた藤太は、大ムカデと遭遇します。その姿は、松明(たいまつ)二~三〇〇本が揺れ動き、三上山を七巻半して、山そのものが揺れ動くほどの大ムカデで、雷のような音をたてていました。弓矢で射かけても効きません、「南無八幡大菩薩」と念じて放った最後の矢で、見事射とめました。すると、松明と思ったのは、実はムカデの足だった。 というお話です。
実際の藤太さんは、「平将門の乱」を平定した功績で、後に、武蔵の守(かみ)、鎮守府将軍まで出世しています。

つづく
次号は、「虫退治にまつわる名刀」のお話です。

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