ムシの文化史

虫の文化史 ⑫(虫偏のムシ) ―人と虫が奏でる文化―

「蚤(のみ)」の歴史
コダマ虫太郎

人間と付き合いの深い虫の歴史を眺めてみましょう。

かつて日本は「ノミ天国」
蚤は、世界中に約二〇〇〇種類ほどいます。そして、ずっと昔から人間を悩ませながら、それでも人と暮らして来ました。衛生状態の良い社会では珍しくなりましたが、それも僅かここ数十年のことです。特に日本は、蚤が暮らすのに適しているようで、明治時代に日本に来た外国人は悲鳴を上げています。蚤の痒みは、蚊に刺されたよりも長くて、夜中だと寝付けなくなります。痒(かゆ)い上に、睡眠不足の二重苦です。

血を「食う」ノミ
蚤は血を吸うと思っている人が多いのですが、そうではありません。実は、噛んで血を出させ、それを乾燥させてから食べるのです。乾かした方が美味しいのか、吸うのが苦手なのか、どちらかなのででしょう。ちょっと、「食にこだわり」ます。
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ノミと良寛さん
ノミ封じに力を尽くしたのは僧たちであったといわれます。なぜなら、殺生を禁忌する仏僧には、そのことを知っているかのようにノミやシラミが大胆にたかり、修行者にとって、瞑想を邪魔する虫だったからです。しかし、蚤の痒さも、慣れてしまえばあまり苦にならないらしく、禅僧の良寛(りょうかん)さんは、蚤やシラミと仲良く暮らしていたようで、歌を詠んでいます。「蚤、シラミ音(ね)の鳴く秋の虫ならば、わが懐(ふところ)は武蔵野の原」。蚤のいる自分の懐を武蔵野に見立てたのには、恐れ入ります。普通はそこまで悟ると言うか、やせ我慢は無理で、古今東西を問わず、蚤の駆除には工夫が見て取れます。

ノミの防除
殺虫剤がなかった昔は、どうして蚤を防いでいたのでしょう?割と有効そうなのは、「誘引法」で、一箇所におびき寄せる方法です。「ロバの乳」や「ヤギの血」が誘引剤に使われて、古代エジプトでは奴隷に塗ったようです。奴隷が痒がるほど、効果が見えるという点では、まさに実証的な方法と言えますが、ちょっと酷(ひど)い話です。元禄時代の大阪では、「猫の蚤採り屋」という、飼い猫の蚤を取る商売がありました。井原西鶴が書いています。まず、猫をお湯で洗っておいて、用意しておいたオオカミの毛皮で、猫を包んで抱いてやります。蚤は、濡れた猫を嫌がって、オオカミの毛皮に移るので、それを振るって捨てます。これでノミは一網打尽です。ノミの習性を巧みに利用した駆除方法で、江戸時代の「移動式ペットサロン」でしょうか。

ノミと天気予報
小林一茶の句に、「蚤焼いて日和占う山屋かな」というのがあります。日本では、ノミを火にくべた音で翌日の天気を占いました。ノミは捕らえたら指の爪で潰してしまうのが古今東西ポピュラーな退治法ですが、焼いた音で天気を占うというのは、そこに遊びの精神や、人間の逞しさも伺えます。

つづく
次号は、「ゴキブリの話」です。

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